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このままでは世論は持たない

国民の批判が強い公務員の「天下り」が、根絶に向けて動き始めた。政府の国家公務員制度改革推進本部が、改革スケジュールを定めた「工程表」を決定し、平成23年から新たな人事制度を実現するとした。麻生太郎首相は、今年限りで天下りと天下りを繰り返す「渡り」を廃止する政令を作ることを表明した。

 当初渡りについては昨年末に、今後3年以内は首相が「極めて例外的な場合」に認めるとの政令が閣議決定された。麻生首相は申請が出ても承認しない考えを示し、この政令の見直しには否定的な姿勢をとり続けてきた。

 渡りで公務員OBは転職するたびに高額退職金を受け取る。1人で3億円を超す所得を得ていたケースも明らかになっている。まさに「役人天国」だ。とても国民の理解は得られない。首相の方針転換は当然の判断だといえよう。

 だが、廃止されるのは各省庁が行ってきた天下りや渡りだけだ。官民人材交流センターが一元的に行う斡旋(あっせん)は今後も続く。政府には、天下り斡旋機能の根本的な見直しを求めたい。

 今回は天下りの背景である、事務次官レースに敗れたら定年まで勤めにくいという国家公務員特有の慣行にもメスを入れる。ここを改めなければ、実効性は上がるまい。工程表においては、定年まで勤務できる環境整備や定年延長などを示したが、年長の職員が大幅に増えることになれば、相応のポストが必要となり、人件費も増えるといったような新たな問題も予想される。

 政府は役職定年制や専門スタッフ職の拡充などで高齢職員の給与引き下げを検討する。民間企業では当たり前のことばかりだ。間違っても、役職を外れても年齢を重ねれば給与が上がり続けるというようなことは許してはならない。弾力的な制度運用が改革の成否を握っているともいえる。詳細な制度設計はこれからだ。国民が納得できる議論が求められよう。

 制度改革は、これまで何度も官僚に骨抜きにされてきた。今回も官僚OBからは「長年の慣行で各省とも渡りのルートができあがっている。斡旋がなくても先輩が譲る形で自動的に再就職する仕組みは続き、実態は変わらない」との声が出ている。官僚機構の分厚い壁に穴を開けるのは相当の覚悟が必要だ。麻生首相のリーダーシップを期待したい。

「公務員改革」の歯車が3日、ようやく回り始めた。政府は人事院の抵抗にもかかわらず、改革の道筋を示した「工程表」を強行決定。直後には麻生太郎首相が衆院予算委答弁で、今年中に省庁による官僚の天下りのあっせんを禁止する考えを打ち出した。公務員改革に関心を示してこなかった首相が、与野党の声に押されて重い腰を上げた形だ。秋までに実施される衆院選に向け、目玉施策にしたい思いも見え隠れしている。【古本陽荘、塙和也】

 ◇天下り廃止、与党の危機感背景
 「官民人材交流センターでこの種のこと(官僚の再就職のあっせん)をやるのが基本的なルール。センターを前提に話している」

 3日午後の衆院予算委で細野豪志氏(民主)から天下り問題について聞かれ、午前中に「省庁による天下りと渡りのあっせん廃止」を明言した首相は、こう答えた。

 廃止は政令で明確にする。政令ができれば、あっせんは昨年12月設置の官民人材交流センターが担う。

 改正国家公務員法(07年成立)は再就職事務をセンターに一元化し、省庁のあっせんによる天下りを廃止する方針を明記。ただ、センター発足後3年以内の移行期間には、第三者機関の再就職等監視委員会が承認した場合に限り、天下り、渡りの省庁によるあっせんを認めている。

 首相の廃止表明は移行期間の「3年以内」を「09年中」に前倒ししたことを意味する。唐突にも映る表明だったが、実は入念な準備の末のことだった。

 河村建夫官房長官は2日夜、在任中は渡りを認めない考えを1月29日にすでに示していた首相に「天下りと渡りは心底やらないと言ってください。もう一歩踏み込んでもらって結構です」と進言。ひそかに面会した自民党の中馬弘毅行革推進本部長から、首相が天下り問題に明確な姿勢を示すのを求める与党内の空気が伝えられたのを受けたものだった。

 河村氏は漆間巌官房副長官に検討を指示。警察官の天下りを抱える警察庁出身の漆間氏は当初難色を示していたが、財務省や経済産業省などの主要官庁が柔軟姿勢を示したことを受け、文言調整を進めた。

 しかし、センターによるあっせんの存続に対しては、民主党が「天下りをかえって制度化する。官僚もハローワークに行くべきだ」と主張するなど、天下り根絶にはほど遠いとの見方も強い。

 また、3日決定した「工程表」は「天下りの根絶に向けた人事制度の構築」として定年延長などを盛り込んでいるが、実施は11年から。「定年延長も前倒しで実施しなければ、再就職先が必要な官僚OBの数は変わらず、むしろ不透明になる」(事務次官経験者)との指摘も出ている。

 背景に「このままでは世論は持たない。衆院選にも影響が出る」(政府高官)という判断がある廃止表明は、工程表決定のわずか3時間後だった。工程表の枠をはみ出した廃止表明に対し、事務方からは「事前に首相方針を知っていれば、工程表にも盛り込めた」との恨み節が漏れた。

 ◇政治主導、実現目指す 「霞が関」揺るがす4年計画 試験変えキャリア廃止
 今後4年間の取り組みを盛り込んだ「工程表」が目指すのは「霞が関」を政治主導に切り替えることだ。計画通りに実現すれば、将来の官僚組織は「時の権力者」の意向を強く反映したものになる。

 本来、国家公務員は国民全体の奉仕者。しかし、実際は縦割り行政が横行し、官僚は他省庁に出向しても出身官庁の顔色を見ながら仕事をしているのが実態だ。こうした弊害の打破に向け、省庁横断人事や民間からの人材登用をするのが新制度。10年に始動する「内閣人事・行政管理局」(仮称)が霞が関全体の人事を管理する。

 一方、大きく様変わりしそうなのが首相官邸の姿。首相や官房長官の直轄の「国家戦略スタッフ」(仮称)が置かれる。工程表には明記していないが、30人程度の政治任用を想定。「首相の知恵袋」として政権の重点課題に集中的に取り組む。各府省に置かれる閣僚の補佐役「政務スタッフ」(仮称)も5人程度となる見通しだ。

 筆記試験重視で「秀才」を集めてきた現行の採用試験は廃止。09年度中に多様な人材を集める新方式の大枠を決め、12年度試験から実施する。これでキャリアとノンキャリアに分かれる「身分制度」もなくなる方向だ。

 ただ、政治家が「お気に入り」を集めるといった不公正人事が行われることへの懸念は強い。政権交代のたびに人材が大幅に入れ替えられることで、霞が関が機能不全に陥る可能性も否定できず、克服すべき課題は多い。

— posted by サイト管理者 at 05:30 pm  

イスラエルのバラク国防相

パレスチナ情勢 4日、イスラエル軍の攻撃を受け、黒煙が棚引くガザ地区=AP
 【エルサレム=福島利之】イスラエル軍は3日夜(日本時間4日未明)、イスラム原理主義組織ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザで、地上軍による侵攻を開始した。12月27日に空爆で始まったガザ攻撃は地上戦という重大な局面を迎えた。

 同国軍は4日、40万の人口が集中する北部ガザ市を包囲。ロイター通信によると、パレスチナ側で少なくとも34人が死亡、9日間の攻撃による死者は500人を超えた。国際社会からは非難の声が上がっているが、イスラエルのバラク国防相は「作戦は短期間で簡単に終わるものではない」と言明、攻撃は数週間続く可能性もある。

 同国軍は1週間前から、ガザとの境界に近い同国南部に約1万人の部隊を集結させており、3、4の両日で5000人前後がガザに侵攻した模様だ。戦闘機や戦闘ヘリが後方から攻撃を加え、海軍もガザ沖から砲撃を行った。

 ロイター通信などによると、地上軍は3日夜、ガザ北部のベイトラヒヤ、難民キャンプのあるジャバリヤなどでハマスの戦闘員と交戦。4日昼には、ガザ地区を縦断する幹線道路サラハッディーン通りを制圧し、南北の通行を遮断した。

 ガザ上空はこの日、黒煙に覆われ、目撃証言によると、市内では逃げようとする住民が車に荷物を満載し、立ち往生しているという。

 ハマス報道官は「ガザはイスラエル軍の墓場となるだろう」と述べており、徹底抗戦する構えだ。同国軍は4日、地上戦で兵士1人が死亡したと発表した。

 イスラエル政府が地上侵攻を決めたのは、同国軍が8日間にわたり空爆を続けたにもかかわらず、ガザから連日続くロケット弾攻撃を止めることができなかったためだ。軍報道官は、地上戦について「ロケット弾発射拠点を制圧し、攻撃を阻止する」のが目標だとしている。

 一方、パレスチナ自治政府のアッバス議長は「非道な侵攻」と非難。エジプトのアブルゲイト外相は「(国際社会の停戦要求にかかわらず)恥知らずの挑戦」と批判し、イスラエルに即時の侵攻中止を求めた。

— posted by サイト管理者 at 05:48 pm  

衆院本会議の代表質問

坂本哲志総務政務官(自民、衆院当選2回)が東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」を巡り、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」などと発言し撤回した問題で、野党各党は6日、相次いで坂本氏の解任を要求した。

 民主党の鳩山幹事長は衆院本会議の代表質問で「即刻、坂本政務官の解任を求める」と述べた。国民新党の亀井久興幹事長は国会内で記者団に「派遣村でも行政がやるべきことをボランティアがやっている」などと、自発的な辞任を求めた。

 これに対し、麻生首相は鳩山氏への答弁で、坂本氏の発言について「職を失い困っている人にとっては不適切なものと考えている」との認識を示した。坂本氏の進退については、同日夜、首相官邸で記者団に対し、「今の段階で解任するつもりはない」と語った。

 坂本氏も記者会見で発言を撤回して謝罪したうえで、「職責を全うしたい」などと述べ、辞任の考えはないことを明らかにした。

— posted by サイト管理者 at 04:15 pm  

山陰道方面に対して

『浅野家文書』には毛利軍5万人と記されており、秀吉は初期情報のこの数字を元に信長の援軍を請求した可能性が存在する。
明智光秀の援軍は、対毛利戦線の山陰道方面に対してのものであり、秀吉が現在戦っている山陽道方面ではない。
秀吉の援軍要請は、手柄を独占する事によって信長に疑念を持たれるのを避ける(信長自身を招いて信長に手柄を譲る)為の保身であり、有利な状況でありながら援軍を求める必然性は存在する。
いわゆる「中国大返し」についても、信長自身による援軍を迎えるための道中の準備が、たまたま功を奏したに過ぎない。『事前に用意していなければ出来ない』とする説はほとんどが近年の学者が述べている発言であり、当時秀吉や豊臣家と関係があった武士からは敵味方を問わず中国大返しを疑問視した発言や記録は出ていない。
「本能寺の変」を知った吉川元春は和睦を反古にして秀吉軍を攻撃する事を主張したが、小早川隆景らの反対によって取り止めになっている。一歩間違えば秀吉は毛利勢と明智勢の挟み撃ちにあった恐れが大であり、現に滝川一益のように本能寺の変が敵方に知られた事により大敗し領土を失った信長配下の武将も存在し、秀吉がこのような危険極まり無い事を、謀略としてあえて意図したとは考えにくい。
また、もし秀吉が光秀と共謀していたなら、山崎の合戦で光秀はそのことを黙って討たれたことになる。共謀が事実ならばそのことを公表することで秀吉は謀反の一味となり、他の織田旧臣や信孝ら織田一族との連合はほぼ不可能となる。光秀方にきわめて有利な情勢を作り出せるからである。
当時の武士から見ても不自然な状況であったり、連携を疑わせる情報が流れていれば、後に秀吉と敵対した織田信雄・信孝・柴田勝家・徳川家康などがそれを主張しないのは不自然である。

[編集] 系譜

[編集] 略系図

 
木下昌吉 大政所 水野昌盛



三好吉房 日秀尼 豊臣秀長 朝日姫 徳川家康



豊臣秀次 北政所 徳川秀忠



南殿 豊臣秀吉 淀殿 崇源院 千姫



羽柴秀勝 女児 豊臣鶴松 和期の方 豊臣秀頼 小石の方



豊臣国松 奈阿姫


実線は親子関係 点線は婚姻関係

[編集] 妻子
正室:北政所(杉原定利の娘・寧々)
側室:南殿
長男:羽柴秀勝(石松丸)
女(名前不詳)
側室:淀殿(浅井長政の娘・茶々)
次男:豊臣鶴松
三男:豊臣秀頼
側室:徳子(孝蔵主の弟・川副正俊の娘)
女(名前不詳) - 丹羽氏家臣・鳥井伝右衛門正室、娘3人を儲ける[要出典]
側室:南の局(山名豊国の娘)
側室:松の丸殿(京極高吉の娘・竜子)
側室:加賀殿(前田利家娘・摩阿)
側室:甲斐姫(成田氏長の娘)
側室:三の丸殿(蒲生氏郷の養女、織田信長の娘)
側室:三条殿(蒲生賢秀の娘・とら)
側室:姫路殿(織田信包の娘)
側室:広沢局(名護屋経勝の娘)
側室:月桂院(足利頼純の娘・嶋子)
側室:安楽院(地侍の娘。お種の方、香の前とも)
側室:円融院(三浦能登守の娘・おふく(法鮮尼)。宇喜多秀家の母)

[編集] 養子
羽柴秀勝(織田信長の四男・於次)
豊臣秀勝(姉・とも(日秀)と三好吉房の次男。羽柴秀勝を継ぐ)
豊臣秀次(姉・とも(日秀)と三好吉房の長男)
結城秀康(徳川家康の次男)
小早川秀秋(木下家定の五男。北政所の甥)

[編集] 養女
豪姫(前田利家の娘。宇喜多秀家正室)
摩阿姫 (前田利家の娘。豊臣秀吉側室)
菊姫(前田利家の庶女。早世)
小姫(織田信雄の娘。徳川秀忠正室。早世)
大善院(豊臣秀長の娘。毛利秀元室)
近衛前子(近衛前久の娘。後陽成天皇女御)
茶々 (浅井長政の娘。 豊臣秀吉側室)
初 (浅井長政の娘。京極高次正室)
江(浅井長政の娘。徳川秀忠継室)
宇喜多直家の娘(吉川広家正室)
蜂須賀正勝の娘(黒田長政正室)

作業完了です。

— posted by サイト管理者 at 11:53 am  

中期旧石器の発掘

前・中期旧石器の発掘

笠懸野岩宿文化資料館日本では縄文時代より前の時代を先土器時代とか無土器時代とかと呼んでおり、土器の時代を遡る時代の遺跡や遺物が長い間発見されず、土器以前に日本列島に人類は居住していなかったと考えられていた。ところが、1949年(昭和24年)に、相沢忠洋が、群馬県みどり市笠懸町岩宿で関東ローム層中から旧石器を発見した。日本の旧石器時代の調査・研究は、ここから始まった。現在までに、日本列島全域で4000カ所を超える遺跡が確認されている。これらの遺跡のほとんどが約3万年前から1.2万年前の後期旧石器時代に残されたものである。

1973年には武蔵台の栗原遺跡と千葉の三里塚55地点遺跡で刃部を研磨した磨製の斧形石器が発掘された。出土層準は約40,000~30,000年前の立川ローム第X層中であり、分布は列島全域に亘る。これら刃部磨製石斧は現時点で世界最古の磨製例であるが、3~4万年前に集中し、その後は草創期まで出現しない。しかしこれら磨製石器の出土によって旧石器時代の人類の生息が示される(小田静夫「旧石器時代の磨製石斧」)。


後期旧石器時代が証明されるとさらに古い時代の発掘が試みられた。1960年代から大分県丹生・早水台、栃木県星野、岩宿D地点などが調査され、前期旧石器存否論争が行われたが、多くの研究者の賛同を得られなかった。これらの論争は「丹生論争」「珪岩製前期旧石器論争」などとして知られている。

1970年代にはいると前期旧石器の探索は薄らぎ、層位編年研究や遺跡構造の解明へ傾斜していった。 1980年代から、東北地方を中心に、前期旧石器時代・中期旧石器時代が日本に存在したという証拠が次々に「発見」された。発見の中心人物は藤村新一で、従来の常識を覆す「成果」とされた。しかし、2000年11月に、藤村が宮城県上高森の発掘現場で石器を埋めるところを毎日新聞取材班が撮影し、同年11月5日に旧石器発掘捏造を報じた。その後、日本考古学協会の調査で藤村が関与した33か所の遺跡のすべてが疑わしいものとされ、いまのところ、前・中期旧石器時代の確実な遺跡は日本には存在しないと理解されている。

なるほど理解できました。

— posted by サイト管理者 at 06:45 pm